コピーライターの裏ポケット

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「コピーライターの左ポケット」の
原稿と音声のアーカイブです




2014年03月30日

上田浩和 2014年3月30日放送

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33

         上田浩和

閉店間際のバッティングセンターでバットを振っている客は、
彼女だけだった。
店を閉める準備をしながら耳をすませていたが、
バットがボールを叩く金属音は聞こえてこない。
打てないのも当然だ。
彼女が相手にしてるのは150キロのマシンなのだ。
プロを目指す高校生でもない彼女が150キロに挑むのは、
彼女の顔が長嶋茂雄だからだ。
彼女は、去年3月の33歳の誕生日に、
プロ野球の神様によって顔だけ長嶋茂雄にさせられた。
長嶋の監督時代の背番号は33。
その数字の偶然を大切にしなさいと神様に言われたそうだ。
彼女は長嶋の顔を持つ者としてのプライドで、
150キロの速球に立ち向かっていた。

受付を出て閉店を告げに行くと、
彼女がちょうどネットをくぐり抜けてくるところだった。
「おつかれさまです」と声をかけた。
汗で光らせた長嶋茂雄の顔を
かわいらしいピンク色のタオルで拭いたあと
「セコムしてますか?」と言いそうな雰囲気で全く違うことを話しはじめた。
「王貞治はホームランを打ってこそだけど、
長嶋茂雄は三振しても許されるの。
みんな長嶋には打って欲しいのに、三振してもなぜか喜ぶの。
そんな人ってほかにいる?」
元阪神の川藤の顔が咄嗟に浮かんだけど、
ここは黙っておいたほうがよさそうだ。
「顔が長嶋になってからは、
会社でミスしても笑っておけば許されたし、
仲が悪かった父親までが急に態度を変えた。
何をやらかしても必ず周りがフォローしてくれた。
長嶋って愛されキャラなのよ。憎らしいほどにね。
本当の自分は真逆だったからうれしくて仕方なかった。
でも、次第に許されることを前提にするようになってたの。
ばかよね。私。
許されるってなに? 相手に妥協を強いるってことなのにね。
それに気がついてからよ、ここに通うようになったの。
私も長嶋ならホームラン打たなきゃいけないの。
だから、300円貸して。もう小銭がないのよ」
「え、でも、もう閉店なんですけど」
「私、明日誕生日なの」
「あ、おめでとうございます」
「そうじゃなくて。明日34になるってことは長嶋の顔は今日までってことなの。
 長嶋のうちにケリつけたいのよ、自分自身に」
「さっきからなにワケ分かんないこと言ってんすか」
「ねえ。天皇陛下が観戦してくださったら打てそうな気がしない?
だって、私、長嶋茂雄だから。お呼びしてよ」
「天皇陛下を? 無理っすよ。メアドも知らないし」
「tennou@docomo.ne.jpじゃない?」

事務所の方で大きな物音がしたのは、そのときだ。
振り返ると事務所から出ていく大きな影が見えた。
明らかに怪しい。
「あれ空き巣じゃないの?」
彼女が小声でつぶやいた。きっとそうに違いない。
「早く追いかけなさいよ」と言いそうな雰囲気で彼女は
「セコムしてますか?」と言った。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/


タグ:上田浩和
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2014年03月23日

細川美和子 2014年3月23日放送

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うそつき

     細川美和子

ほとんど二日酔いにはならない。
どんなにたくさん飲んでも、
眠りさえすれば、大丈夫だ。
でも、お酒を飲んだ翌朝は、
ゆうべお酒のチカラで
盛り上がってしゃべったことが
全部うそだった気がして、自己嫌悪におそわれる。
なんであんなに熱く語っちゃったんだろ。
なんであんなに調子に乗って
なれなれしくしちゃったんだろ。
自分がぜんぶ、うそでできている気がしてくる。
自分がぜんぶ、借り物の言葉でできている気がしてくる。
もう二度と、お酒なんて飲まない、と思う。
お水が一番、おいしいと思う。
これからは一生しらふで、
姿勢正しく生きていくんだ。
魚卵とか酒のあてばかり食べていないで、
サラダと玄米で、頭をクリアにするんだ。
本当に思ったことだけを、丁寧に慎重に伝えるんだ。
それでも、夕方になると、だんだんあの味が恋しくなる。
どこにもないあの味と匂いが、なつかしくなる。
お酒ができるまでの、長い道のりと時間を思う。
もう二度とお酒を飲まない、
と過ごした今日一日はうそだったことがわかる。
でも、夜のわたしは、
不思議と自己嫌悪には襲われない。
うそつきな自分を、おもしろいなあ、とにっこり思う。
そうして今日もわたしは、お酒を飲むのだ。


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2014年03月16日

小松洋支 2014年3月16日放送

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母と子

          小松洋支

その日はよく晴れていて、電車の中にも明るい陽が射しこんでいました。
お昼近い車内はすいていました。
こんなゆるやかな時間の流れている各駅停車の窓から
沿線のなんでもない風景を見るのが好きです。

線路に近いところまでせまっているアパートの2階に、
ミッキーマウスのタオルが干してあったり。
昭和のたたずまいのパン屋さんの前で、子どもが縄跳びをしていたり。
「川をきれいにしよう」という横断幕が、小さな橋にかかっていたり。
そういうのを見るとなんだか安らかな気持ちになるのです。

とある駅に着いたときのことでした。
乗りこんできたふたりが、向かいの席に座りました。
「あ、親子だな」と思いました。
面ざしが似ているのです。
母親はやせていて顔も細く、子どもは頬がふっくらしていますが、
目もとから鼻にかけてのつくりが、そっくりです。

電車が動き出すと、母親は巾着袋を開けてドーナツを取り出し、
娘に渡しました。
娘はドーナツを持ってしばらく眺めていましたが、
ふたつに割って半分を母親に差し出しました。
母親は笑ってそれを受け取りました。

けれども母親はそのドーナツを手にしたまま、
娘が食べるのを見守っていました。
娘が食べるように促しても、うなずくばかりでした。

「お母さんも食べな」
娘が何度目かにそう言ったとき、
母親はようやくドーナツの半分をふたつに割り、
時間をかけて4分の1を食べました。
でも残りはずっと手に持っていました。

やがて乗り換えの駅に着きました。
ホームに降り立って、動き出した電車をふりかえると、
窓ごしにあの親子が目に入りました。
ふたりは黙って、でもにこやかに正面を向いて座っていました。
ドーナツの4分の1は娘が手にしていました。

母親は70歳、娘は50歳くらいに見えました。

まだ冷たい風の中に、かすかに春の匂いがするようでした。


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2014年03月09日

宮田知明 2014年3月9日放送

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右利きに矯正された男

        宮田知明

私は、今でこそ右利きであるが、
こどもの頃は左利きだった。

食事のときは、母に、左手を輪ゴムでグルグルに巻かれ、
使えないようにされた。

欲しかった野球のグローブは、父が買ってきてくれた。
左利き用だと思ってはめてみたら、うまくキャッチできない。
なんと、右利き用・・・。
これも、右利き矯正のための両親の作戦だったのだろう。

特別、運動能力が低かった訳ではない。
でも、野球は上手ではなかった。
サードからファーストまで、ボールが届かないのである。
左手で捕って、左手で投げられたらいいのに、と思っていた。

体力テストで悔しい想いをしていたのは、遠投だった。
まず、右手で投げてみる。次は左手で投げてみる。
飛ぶ距離はほとんど同じ。クラスの平均くらい。
右手で投げた距離と、左手で投げた距離の合計で競うという競技があったら、きっとクラスで1位になっていたことだろう。

ボールを投げた後、あれ、いま左手で投げたな、
と気づくこともあった。
矯正されたとはいえ、左手も案外使うことができた。
左利きのままだった方が、もっと能力が発揮できたのではないか。
両親を恨んだこともあった。

そう思っていたある日、隣の席のクラスメイトから言われたことがある。
「お前、左手で消しゴム使えて便利だな」

右利きの人は、消しゴムを使うとき、一旦、鉛筆を置き、
そして消しゴムに持ち替えて消して、また鉛筆を持つ、
という大変効率の悪い動作をしているのである。

その点私には、鉛筆を右手に持ちながら、左手で消しゴムが使える、
という類い稀な技術が備わっていた。

そして、この能力は中華料理屋のアルバイトでも
活かされることとなった。
チャーハンをはじめ、様々な炒め物を作る上で、
重たい中華鍋をふり続けるのはかなりの腕力が必要だったが、
私は全く疲れをしらなかった。
右でも左でも、器用に鍋をふれるのである。
その能力が、店長の目に留まった。

何の才能もないと思っていた私。左右どっちの手もうまく使えることに
まさかこんな恩恵があるとは。
私の才能を高く買った店長は、私に料理の英才教育を施した。
そして、ある日こう告げたのだった。
「この店を、継いでくれないか・・・」


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/


タグ:宮田知明
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