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コピーライターの裏ポケット
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2014年03月09日
宮田知明 2014年3月9日放送
右利きに矯正された男
宮田知明
私は、今でこそ右利きであるが、
こどもの頃は左利きだった。
食事のときは、母に、左手を輪ゴムでグルグルに巻かれ、
使えないようにされた。
欲しかった野球のグローブは、父が買ってきてくれた。
左利き用だと思ってはめてみたら、うまくキャッチできない。
なんと、右利き用・・・。
これも、右利き矯正のための両親の作戦だったのだろう。
特別、運動能力が低かった訳ではない。
でも、野球は上手ではなかった。
サードからファーストまで、ボールが届かないのである。
左手で捕って、左手で投げられたらいいのに、と思っていた。
体力テストで悔しい想いをしていたのは、遠投だった。
まず、右手で投げてみる。次は左手で投げてみる。
飛ぶ距離はほとんど同じ。クラスの平均くらい。
右手で投げた距離と、左手で投げた距離の合計で競うという競技があったら、きっとクラスで1位になっていたことだろう。
ボールを投げた後、あれ、いま左手で投げたな、
と気づくこともあった。
矯正されたとはいえ、左手も案外使うことができた。
左利きのままだった方が、もっと能力が発揮できたのではないか。
両親を恨んだこともあった。
そう思っていたある日、隣の席のクラスメイトから言われたことがある。
「お前、左手で消しゴム使えて便利だな」
右利きの人は、消しゴムを使うとき、一旦、鉛筆を置き、
そして消しゴムに持ち替えて消して、また鉛筆を持つ、
という大変効率の悪い動作をしているのである。
その点私には、鉛筆を右手に持ちながら、左手で消しゴムが使える、
という類い稀な技術が備わっていた。
そして、この能力は中華料理屋のアルバイトでも
活かされることとなった。
チャーハンをはじめ、様々な炒め物を作る上で、
重たい中華鍋をふり続けるのはかなりの腕力が必要だったが、
私は全く疲れをしらなかった。
右でも左でも、器用に鍋をふれるのである。
その能力が、店長の目に留まった。
何の才能もないと思っていた私。左右どっちの手もうまく使えることに
まさかこんな恩恵があるとは。
私の才能を高く買った店長は、私に料理の英才教育を施した。
そして、ある日こう告げたのだった。
「この店を、継いでくれないか・・・」
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
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