コピーライターの裏ポケット

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「コピーライターの左ポケット」の
原稿と音声のアーカイブです




2014年08月31日

上田浩和 2014年8月31日放送

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8月のりゅうくん

        上田浩和

シャープペンの先端は開いた大学ノートの上を、
なめらかに動いた。
縦にすっと走った直線は、
左に折れるとそのままヘアピンカーブを描き少し行くと止まる。
その「しんにょう」のような形の中に収まるように、
小さな楕円を三つ。
うち二つには円の内側に点をひとつずつ置く。
次にしんにょうの右上をカタカナのアのような形で閉じると、
先ほどのヘアピンカーブのあたりから右に直線を引く。
仕上げに、楕円の横のスペースでぐるぐるぐると、
一流のフィギュアスケーターのように4回転半、
それを二回繰り返してシャープペンは動きを止める。
そして、紙の上には忍者ハットリくんが残る。
そばにニンニンと書く。ハットリくんの口癖だ。
それを書くことで、ハットリくんらしさはぐっと上がる。
書かなくても、それがハットリくんであることは、
誰の目にも分かるのだが、
それほどそのハットリくんの完成度は高かいのだが、
相田みつをが「にんげんだもの」と書いたあとには、
必ず「みつを」と書くように、
ぼくらはハットリくんを描いたあとには
「ニンニン」と書かずにはいられないのだった。

ぼくらとは、ぼくとりゅうくんのことだ。
高校1年の頃、数学の教科書を誰かに貸して、
それが誰だったかを忘れてしまったりゅうくんは、
数学の授業のたびに席をくっつけてきた。
いちおう二人のあいだに教科書を置いてはみるのだが、
りゅうくんに見る気はなく、ぼくのノートに手をのばして
ただひたすらハットリくんを描き続けるだけだった。
ぼくも描きやすいようにと、
りゅうくんのほうにノートをずらしてあげたから、
ハットリくんはノートの上でのびのびと分身の術をくり返していた。
ぼくも一緒になって描いた。

ある日、できるだけ小さなハットリくんを
描いてみようということになった。
筆箱のなかのいちばん細いペンで描くだけでは満足できず、
りゅうくんとぼくは、シャープペンの芯の先端を
カッターで尖らせたりした。それに飽きると、
反対にできるだけ大きなハットリくんを描くことにした。
ぼくは、ノートの真ん中でシャープペンをぐるぐるとやって、
黒い丸を描いた。ハットリくんの右目の瞳のつもりだった。
これ以上大きくは無理だろうと思っていたら、
りゅうくんは、次のページの真ん中に、
ただシャープペンの先端を押し付けただけの点を描いた。
「左目の瞳」と言うつもりかと思い、鼻で笑う準備をしていたら、
りゅうくんは「ハットリくんの毛穴」と言った。
それは、夏休みの日のことだった。
課外授業のためにぼくらは教室に閉じ込められていた。
教壇では、メガネをかけた歯並びの悪い先生が、
セミの鳴き声にまみれながら二次関数について語っていた。


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2014年08月24日

細川美和子 2014年8月24日放送

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夏休みの宿題
                           
     細川美和子

1976年の夏休み、
そのスイカのタネは気まぐれに庭に埋められた。
そしてそのまま忘れられた。
ほかの兄弟たちはどこに行ったんだろう?
まっくらな土の中でスイカのタネは考えた。
でもなにも思い浮かばなかった。
包丁で切られ、スプーンでほじられ、土にうめられるまで、
タネが見てきた世界はあまりにすくなかった。
考える材料がなかったのだ。
そこでタネは、眠ることにした。
ひんやりとした土の中、タネはこんこんと眠りつづけた。
でもあるとき、誰かに激しくゆさぶられて目が覚めた。
なんだからまわりの様子が変わっている。
カラダがほとんど、土から飛び出してしまっている。
じりじりと頭の上のほうが熱い。
ああ、あれが太陽か。
かと思えば、激しい雨がタネをうちつける。
大きな黒い鳥がゆっくりと
自分を狙っているのを感じる。
ああ。暗い土のなかで、
眠っていたころがなつかしい。
それよりももっと前、
お母さんの赤いカラダの中で
眠っていたころがなつかしい。
どうしてこんなこわくてさびしい思いを
しなければいけないのか。
タネの頭と胸は、はちきれそうだった。
そして実際、プチっと音がした。
タネは自分がこわれる音を聞いた。
誰かが遠くで拍手している。


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2014年08月17日

小松洋支 2014年8月17日放送

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イワンの馬鹿
            
           小松洋支

「イワンの馬鹿!」
大声で叫んで、エカテリーナは持っていた手提げで
イワンをぶとうとした。
が、イワンがとっさに身をかわしたので、
手提げは空を切ってエカテリーナのひざに当たり、
鉛筆やノートが転がり出た。

「馬鹿、馬鹿、馬鹿!」
エカテリーナは手提げを投げ捨て、
両手のこぶしを振り回しながら突進してきた。

イワンは身を翻して駆け出し、
レンガ作りの郵便局の角を曲がって人ごみに紛れこんだ。

もとはと言えばイワンが悪いのだ。
エカテリーナと渡り鳥の集まる池を見に行く約束をしていたのに、
それをすっぽかしてユーリーと蚤の市に出かけたのだから。


センナヤ広場はいつものようにごったがえしていた。
道端に腰をおろして、特になにをするでもなく、
ただ通る人を眺めている男たち。
釣ってきた魚や、摘んできた野の花を売ろうとして
人びとの間をさまよい歩いている子どもたち。
まだ暗くならないうちから、
客を待ってたたずんでいる派手な化粧の女たち。

そんな女たちの中に、
エカテリーナの母親もいることをイワンは知っていた。
だからエカテリーナは決してセンナヤ広場には近づかない。
そしてイワン以外に、
エカテリーナの相手をしようとする者はいない。

イワンは広場を横切り、古びた居酒屋の前で立ち止まった。
店先にいつもすわっている黒い犬がさかんにしっぽをふった。
屋外のテーブルで、学生らしい若い男と
風采の上がらない赤ら顔の中年男がウオッカを飲んでいた。

と、突然、人ごみの中に知っている顔が見えた。
イワンの父親だった。
一年の大半を地方に行商に出ていて、
家にいることはほとんどない。
ペテルブルグにいること自体が驚きだった。

父親はたばこを吸いながら、
妙に落ち着かない様子であたりを見回していた。
女が一人近づいてきた。
エカテリーナの母親だった。
二人はなにか話しあっていたが、
やがて腕を組んで細い路地に消えていった。

イワンは走って運河沿いの道に出た。
くちびるを噛みしめていたので、血の味がした。
橋から見下ろすと、カイツブリが二羽、静かに水を搔いていた。

イワンはポケットから鉛でできた十字架のペンダントを取り出した。
蚤の市でエカテリーナのために買ってきたものだ。
それを運河に投げ捨てようとして、思い切り腕を振りあげた。
が、力なく、だらんとまた腕を下ろした。

暮れてゆく運河に向かって、イワンは吐き捨てるように言った。
「イワンの馬鹿」


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2014年08月10日

土公奈緒 2014年8月10日放送

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口移しの酸素

        土公 奈緒

地球温暖化は急速に進行し、世界は海に沈んだ。

昔ハリウッド映画であった事が
とうとう現実のものになったのだ。
ただ、映画と違っていたのは、
人類は、水上ではなく海中で
生きているところだ。

海中で生きる人類は、頭に宇宙飛行士のような
フルフェイスのカプセルを装着している。
カプセルは生存センターとパイプでつながっていて、
絶えず酸素が送りこまれている。
1日に3回、決まった時間には
酸素に紛れて栄養サプリメントも送られてくる。
このカプセルを頭につけている限り、
人類は以前とほとんど変わらない暮らしを
海中でおくることが出来るのだ。

海中での生活は思いのほか快適そうだった。
スピードが出なくなったおかげで交通事故が減り
浮力のおかげで体重300キロの男性が数十年ぶりに自力で歩いた、
なんていう嬉しいニュースが連日報道された。

海中での生活で人類が失ったものは、ただひとつ。

キスだ。

寝るときも、セックスするときも、カプセルは外せない。
ゆりかごから墓場まで。
今や、人類の生活はカプセルと共にある。
カプセルが邪魔をするから、
キスができなくなった。

キスが出来なくても死にはしない。
我々はそう思っていた。
しかし、どういうことなのだろう。
年に、一組か二組のカップルが、
キスをして死ぬのだ。

実のところ、カプセルを外してキスをしても
すぐには死なない。口移しに呼吸をし、
酸素を送り合えばいいのだ。

人は、1回の呼吸で
約500mlの空気を吐き出す。
そのうちの約16%、80mlが酸素だ。
1度呼吸し吐き出された空気からは
約5%、酸素が減少する。

80mlの酸素を男が吸い、
男が吐き出した76mlの酸素を女が吸い、
女が吐き出した72.2mlの酸素を男が吸い・・
こうしてカップルで交互に呼吸をしていくと、
85回の呼吸で酸素量は1ml以下になる。
人は4秒に1度呼吸をするので、
85回は約5分間。

つまり、5分以内のキスならば、
カプセルを外しても死ぬことはないのだ。

しかし、事実、キスをして死ぬカップルがいる。
しかもその数は年々増えているという。

どうしてそこまでキスをしたいのか、
我々には理解できない。

キスというものを、地球に来て初めて知ったものだから。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/


タグ:土公奈緒
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