コピーライターの裏ポケット

こちらのブログは
「コピーライターの左ポケット」の
原稿と音声のアーカイブです




2010年02月28日

細川美和子 10年2月28日

肥後スミレ090321.jpg

花粉症

                     細川美和子

「わたしを花粉症にしてください。」

その患者は、思いつめた様子で
わたしにそう依頼してきた。

わたしは全国から患者が集まる、
花粉症研究の権威である。

そのわたしに
「一生治らない、花粉症にしてください」と、
その患者は言うのだった。

「またどうして?」

わたしはまあ、
まっとうな質問をしてみる。

「失礼なお願いなのはわかっています。
花粉症に苦しんでる人にも・・・
花粉症の治療に奔走されている先生にも・・・
でも春になると・・・匂いがつらいんです」

「匂い?なんの匂いですか?」

「それが・・・わからないんです。
なんの匂いか、特定できないんです。
ただ、
街を歩いているとき、
角をまがったとき、
風がふいたとき、
窓をあけたとき、
ふとした瞬間にその匂いがすることがあって。
そうするともう、だめなんです」

「どうなるんですか」

「・・・思い出してしまうんです。
わたしがここ何年もあらゆる努力をして
あらゆる注意を払って
忘れようとしていることを。
うまく忘れたと思っていても、
匂いをかぐともうだめなんです。
ふりだしにもどってしまう。
ぜんぶ思い出してしまう」

「つまり、あなたには・・・」

「どうしても、忘れたいことがあるんです」

「なるほど」

「ただひとつわかっているのは、
その匂いがしてくるのが、
かならず春だということです。
だから花粉症になれば・・・
この時期さえ鼻がきかなくなれば・・・
もうその匂いにとつぜん襲われることもないと思って」

そういうことなら、
とわたしはその依頼をひきうけた。


わたしが医療を志した目的は
花粉症の根絶ではない。

苦しんでいる人を救うことなのだから。

治療をおえると、
ぐずぐずする鼻をこすりながら、
その患者はやっと笑顔になった。

「ああ、もうなんの匂いもしない」

うれしそうにそういって、ドアを閉めた。

部屋にはしばらく
その患者が残した香水の匂いが
ただよっていた。

ジャスミン?

わたしには香水のことは
よくわからない。

ただそれ以来、
誰かがつけている
その香水の匂いをかぐと、
わたしの鼻はなんだか
むずむずするようになってしまった。



Voice:柴草玲 http://shibakusa.exblog.jp/

タグ:細川美和子
posted by 裏ポケット at 13:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 細川美和子 | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。