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「コピーライターの左ポケット」の
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コピーライターの裏ポケット
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2010年03月07日
小宮由美子 10年3月7日
赤い爪の、銀色の髪の老婦人
小宮 由美子
もう随分、遠いむかしのことだけれど、
私が女優だった頃 ―― ええ、そうよ。
お若いあなたが生まれる前、
私はこの国じゃ、知らない人のいない大女優だった。
私が主役をはる舞台はいつだって、
天井桟敷までお客で一杯だったものよ。
そう、あの日も、こんな雪の晩だった。
第2幕、私は紫のイブニングドレス。
長ぜりふを言いながら、白い階段を降りていく、
はずだった。
一瞬だった!
細いハイヒールのつま先が地面をとらえ損なって、
56段もある階段を、私の体は転がり落ちた。
なんて長い一瞬だったろう。
あ、と口を開けたまま凍りついた観客たち。
舞台袖に立つマネージャーの青ざめた顔。
加速していく私の目には、なぜか、
世界がゆっくり、ゆっくり、映っていた。
転がりながら、考えていた。
「ああ、こういう場面が、映画にあった」と。
子どもの頃に、街の小さな劇場で父に連れられて観た、
あれは、なんの映画だったかしら って。
烈しい音を立てて、私の体が床に叩きつけられた時、
劇場の中は水を打ったように静まり返っていたわ。
起き上がった私は、なぜか
自分が笑っているのに気づいた。
あれから何十年も経つというのに、不思議ね。
今でも「永遠」って言葉をきくと、
私はかならず、あの時のことを思い出す。
今夜の話は、これでおしまい。
さあ、早くお帰りなさいな。
雪が、ほら、もうあんなに積もっている。
Voice:柴草玲 http://shibakusa.exblog.jp/
タグ:小宮由美子
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