コピーライターの裏ポケット

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2010年08月31日

上田浩和 10年8月29日放送

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ある夏の夜に。

                       上田浩和


子供のころのぼくは、よく泣きました。
悲しいとき、悔しいとき、痛いとき、寂しいときはもちろん、
喜びすぎたとき、笑いすぎたとき、やさしくされたときにも泣きました。
そしてその感情ごとに、ぼくはいろんな涙を流しました。
痛いときに頬をつたう涙は、オレンジ色をしていました。
色だけではありません。ぺロッとなめると味もオレンジです。
悔しいときは、白い涙が頬を流れていきました。カルピスです。
悲しいときは、シュワッとしていました。サイダーです。
子供のころのぼくは、よく泣きました。
そして感情に応じて涙の種類をいろいろに変えたのです。
反対に言うと、涙の味から、
ぼくは自分がなにを感じているのかを把握することができたのでした。

ある夏休みの夜のことです。
ぼくは、窓の外に広がるきれいな星空に目を奪われていました。
いつもと同じ夜空なのに、その夜だけはなにか様子が違いました。
いっときも目をそらすことができないのです。
星のきれいさのせいだけではありません。
そこにはなにかがぼくの意識をひきつける大きなものがありました。
と、そのときです。
ぼくは唐突に「夜空って宇宙なんだ」ということに気がついたのです。
いま思えば当然のことですが、あのときは、
世の中のことがぜんぶ分かったみたいな感動がありました。
そうか、夜空は宇宙なんだ!と。
ぼくは気持ちのたかぶりとともに宇宙を見つめていました。
いまでも広がり続けているという宇宙の果てを思いました。
すると今度は、恐怖のあまりに視線をそらせなくなっていたのです。
なにが怖かったのか、いまではよく覚えてはいません。
気がつけば、ぼくの意識は夜空に飛び出していました。
1秒もかからず成層圏を抜け、
ロケットの速度を1億倍にしても足りないくらいの勢いで、
ぼくの意識は宇宙の闇の中を突き進んできました。

そこは、宇宙の果て。
闇と光がせめぎあっているようなそんな場所。
振り返ればさっきまでいた地球が点のように見え、
目を凝らすと、夜空を見上げるぼくの姿が小さくゴミのように見えます。
背中に部屋の明かりを受けてシルエットになっている自分は、
へんな顔をしてると思いました。
不思議なもので、こんなに大きな宇宙にいて、
気になるのは自分の小ささだけなのでした。
ぼくの意識は、しばらくそこを漂ったあとで、
ゆっくりと時間をかけて、
地球の、ぼくの家の、ぼくの部屋で夜空を見上げるぼくの体のなかに
戻っていきました。

ふと気がつくと、ぼくは夜空を見上げながら泣いていました。
そしていつものように涙をなめたとき、はっとしました。
苦いのです。
いままで、こんな味の涙は流したことはありませんでした。
それは、ぼくが人生ではじめてコーヒーを飲んだ瞬間でした。
苦くて苦くて仕方ありませんでした。
コーヒーの涙が、いったいどんな気持ちを表していたのか
今となっては知ることはできません。
というのも、あの夜を境にして、ぼくはあまり泣かなくなったうえ、
たとえ泣いたとしても、ふつうの塩っからい透明な涙しか流さなくなっていたのです。
だからぼくがあの晩、宇宙で感じたことを正確に伝えることはできません。
ただひとつ言えることは、あの晩、ぼくはどんなジュースにも表せない感情が
自分にあることを知ったということです。

あの晩から長い時間がたち、
ずいぶん大人になったぼくですが、いまでもコーヒーを飲みながら、
カップのなかに遠い遠い宇宙が見えるような気がして
涙ぐんでしまうことがあります。



出演:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/

タグ:上田浩和
posted by 裏ポケット at 08:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 上田浩和 | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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