コピーライターの裏ポケット

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2010年10月17日

小松洋支 10年10月17日放送

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12人目の男

        小松洋支


男を椅子に座らせると、画家はその顔をじっと見つめた。
こけた頬。
高慢な鼻。
悲しげな眉。
口もとには嘲りが漂い、
眼は落ちくぼんで、光というものがない。

その男を、画家は、はるばるアレッツォの監獄から借り受けてきた。

囚人の中にモデルがいるに違いない。
そう思いつくまでは、貧民窟をあてもなく巡り歩いたり、
安酒場や売春宿をのぞいて回ったりした。
その間、画の制作は止まったままだった。

アレッツォの獄舎で膝をかかえて格子窓を仰いでいる囚人の横顔を見たとき、
画家は雷に打たれたようにその場に立ちすくんだ。
自分が探し求めていたイメージと
ぴったり一致する実在の人間が、そこにいた。

「この男は、いったいどんな罪を犯したんだ?」
画家がたずねると、囚人につき添ってきた看守は、
偽証、密告、殺人幇助など、いくつもの罪状を矢継ぎばやに並べたてた。
それを聞いても男は表情ひとつ動かさなかった。
ただ焦点の定まらない目で、アトリエの隅をぼんやり見つめていた。

画家は男の向いに腰かけ、木炭をとってスケッチをはじめた。
なにかを信じる、ということを、決して信じない人間の、
黒々とした虚無。
これこそ12人目の男だ。
画家は憑かれたように手を動かし、何枚も何枚もスケッチを重ねた。

と、囚人の口がかすかに動いた。
あまりに小さな声でそれは聞きとれなかった。
画家は立っていって男に耳を近づけた。

「おれは前にもここに来たことがある」
しわがれた声で、つぶやくように男は言った。

「なんだって」
画家は叫んだ。
「わたしはお前を見つけるのに3年かかった。
それ以前にお前がここに来たはずはない」

だが、叫ぶと同時に、画家はこの画を描くために
市場でいちじくの実を売っていた青年を、
かつてここに連れてきたことを思い出した。
戦慄が走り、スケッチの束が床に落ちた。

画家はふりかえって、アトリエの奥にある大きな画を見た。
右から2番目の人物が空白のままになっている。
12人目の男が描けずに中断していた「最後の晩餐」だった。
その画の中央で、悲しげな眉をした青年が、
食卓の上に両手をひろげていた。




出演:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
タグ:小松洋支
posted by 裏ポケット at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小松洋支 | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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