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コピーライターの裏ポケット
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2011年01月02日
佐藤義浩 2011年1月2日放送
ぴょんと飛ぶ。
佐藤義浩
ねずみはちょこちょこ走り、ウサギはぴょんと飛ぶ。
同じようなかっこをしてるのに、なぜかうさぎだけが、
走るかわりにぴょんと飛ぶ。
ぴょんととぶことを、スプリングという。バネみたいに。
スプリングには別の意味もあったりする。
泉という意味と、春という意味。
たぶん泉は飛び出るように水が湧き出すから、ということなんだろう。
春もなんとなく跳ねるような気分、ってことか。
春は一年のはじめ。だということになっている。
季節はずっと続いていくものだから、どこがはじめで、
どこが終わりってこともない。
だけど人は、なんとなく区切りをつけたいみたいで、
そのために、寒い冬に縮こまったカラダを、ふぅと一瞬ため息ついてから、
ぱっと伸ばしたい気持ちになるんだろう。
一瞬のため息は、ときには沈んだ気持ちのあらわれである。
それはたぶん無意識で、いつの間にかカラダの中にたまったいろんなことが、
唯一そとに向かって開いてる「口というところ」から、ほわっと出る。
出口は大切だ。
出口がなければ、そこにあるものは、いつまでもそこにいなければならない。
膨らんだ風船をぎゅっと押してみると、中の空気は右から左へと動くけれど、
行き場がないから、またもとのところに戻ってきてしまう。
出口は同時に、入り口でもある。
ひとつのものにふたつの名前があるということだ。
誰もが不思議に、それを意識せずに使い分けている。
出るときにそれを入り口という人はいないし、
入るときにそれを出口と呼ぶ人はいない。
ひとつの同じものは、そのときの自分の有りようによって違うものになる。
ひとつの同じことは、
そのときの自分の有りようによって、カタチを変える。
しあわせは、いましあわせな人にとっては目に見えないもので、
いましあわせじゃない人にとってみれば、すごく大きく見える。
目に見えるしあわせのカタチは丸い。
丸くてふうせんのようにふくらんでいく。
どんどんふくらんでいくから、表面は引っ張られてつるつるになる。
そのつるつるは危うくて、とがったものに触れるとすぐにはじけてしまう。
しあわせは、はじけまいとして、
とがったものと反対の方にどんどんふくれていく。
その先にはとなりのふうせんがいる。
ふくれたふうせんは、隣のふうせんを押す。
押されたふうせんは反対側の壁の方へどんどん押し込められていく。
どんどん押されて壁におしつけられて、しわがよる。
それをしわよせという。
ふくらんだふうせんも、時が経てば、そのうちしぜんにしぼんでゆく。
しぼむのはいやだから、もいちど無理してふくらもうとする。
だけどそのうちそれにも飽きて、
じぶんでとがったものの方へとすすんでゆく。
とがったものに触れたふうせんは、ぱちんとはじけて、
中からうさぎがぴょんと飛び出る。
出演:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
タグ:佐藤義浩
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