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コピーライターの裏ポケット
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2011年05月01日
小山佳奈 2011年5月1日放送
住宅地図
ストーリー 小山佳奈
今日も和枝は見たことのない街の輪郭を黙々となぞっている。
和枝の勤務先は住宅地図をつくる小さな会社だ。
地図をつくるという壮大な言葉の響きに反して、
和枝の仕事は極めて地味である。
調査員が調べたリストをもとに一軒一軒、
木造は黄色、鉄筋は青、軽量鉄骨なら赤、と色分けし、
住居なら1、住居兼店舗なら2、公共施設なら3、と番号をふる。
持ち主が変わった場合には元の名前に線を引いて新しい名前を上から書き、
敷地が不明瞭な場合には、航空写真と照合し、新しい境界線を赤線で引く。
朝9時から夕方5時まで、黙々と地図に向かう。
あまりに単純で無機質な作業にやめていく人は多いが、
やめたい、と思ったことはない。
残業はないし時給も悪くない。
自分にはこれが合っていると思う。
初めの頃はそれでもさまざまな想像を働かせて楽しんだりもした。
木造の平屋住宅が3階建ての鉄筋になっていると
二世帯住宅を退職金で建てさせられた老夫婦を思った。
広大な一軒家が時間貸しの駐車場になっていると
遺産相続で繰り広げられた兄弟同士の血みどろの喧嘩を想像した。
しかしそれも、物珍しかったうちだけで、
何百、何千という地図を見ているうちに何も思わなくなった。
今日も和枝は見たことのない街の輪郭を黙々となぞっている。
先ほど開けた窓からは、5月の爽やかな風が入ってきて、地図をパタパタと鳴らす。
その日7枚目となる地図の街は、新興住宅地のようで、
全く同じ形状と全く同じ材質の家が、マスゲームのように均一に並んでいる。
和枝はふと昔のことを思い出した。
あの人が住んでいた街。
カタログから切り取られたような家々。ちぐはぐなヨーロッパ調の扉。
すべてが均一で、すべてが安普請な街。
その人の家には3回行った。
1回目は、忘年会の帰りに、酔っ払ったその人を家に送り届けた。
玄関から出てきた奥さんは、和枝のことを上から下までじろじろと眺め
この女なら勝てると瞬時に判断し「ありがとう」とにこやかに礼を言って
その人を家に引きずり込んだ。
2回目は、部の人の送別会の帰りに、酔っ払ったその人を家に送り届けた。
あいにく奥さんと子どもは旅行に行っていて家には誰もいず
その人は、和枝をためらいもなく家にあげて、ためらいもなく押し倒した。
相手が起きる前にその家を出た和枝はテトリスのような住宅地を
さんざん迷って駅までたどりつき始発電車で家に帰った。
そして君枝とその人は、1週間に1度ホテルに行くという平凡な不倫関係になった。
3回目にその人の家に行ったのは5月の初めの日曜日の昼下がりだった。
その日和枝は特別にあつらえた果物ナイフを持ってその街に降り立ち
何度もシュミレーションしたおかげで迷うことなくその人の家にたどりつき
チャイムを押して出てきた奥さんを刺し
サッカーボールを蹴りながら帰ってきた子どもを刺し
庭でバーベキューを始めようと炭をいじっているその人を刺した。
はずだった。
チャイムを押して出てきたのは奥さんではなくその人で
あまりに能天気にバーベキューに誘い、あまりに自然に庭に引き入れたので
和枝は、焼きすぎた固い肉とオリーブオイルをかけすぎたサラダを
食べるはめになった。
奥さんは不審感を露わにしながら聡明な妻を演じていた。
その人は5月の風のように、爽やかで、能天気で、バカだった。
そして和枝は会社をやめた。
今日も和枝は見たことのない街の輪郭を黙々となぞっている。
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
タグ:小山佳奈
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