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「コピーライターの左ポケット」の
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コピーライターの裏ポケット
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2011年09月11日
小松洋支 2011年9月11日放送

太郎
小松洋支
カウンターのいつもの席でスコッチを2杯飲んで、店を出た。
この時間ならまだ電車で帰れる。
霧のような小雨が降っていて、すこし肌寒い。
角を曲がると、2、3人の男が路地をふさいでいる。
なにやら口汚くののしりあっている。
ヤクザだ。
関わりあいにならないほうがいい。
反対方向に歩き出そうとしたとき、
「助けて」 という悲鳴が聞こえた。
ふり向くと、若い女が男たちをふりもぎってこちらに駆け寄ってくるなり、
身を隠すように背中に回りこんだ。
「なんじゃ、おのれは」
眉間に傷のある色黒の大男が近づいてきていきなり胸ぐらをつかむ。
すごい力だ。苦しくて息ができない。
とっさに懐に手を入れ、男の目の前に財布をさし出した。
男は札の枚数を数え、舌打ちし、財布を地面に投げ捨て、
脛を思いきり蹴飛ばして、仲間とともに去って行った。
「大丈夫?ケガしなかった?ごめんなさい。わたしのために」
女はしゃがみこんで、財布を拾い、手渡してくれる。
20代前半。目が細く、くちびるが薄く、鼻がとがった小さい顔。
肌が荒れているのが、化粧の上からでもわかる。
「わたしがつとめているお店が近くにあるの。
ちょっとだけ休んでいって」
女のあとについて、「パブ ドラゴンパレス」という店に入る。
中は思ったより広く、小さなステージもある。
女は隅っこのテーブルに案内し、ビールの小瓶と柿の種を出し、
奥にいた店主とおぼしき化粧の濃い美人に何か話しかけている。
女主人はしきりにうなずいていたが、こちらの視線に気づくと、
満面の笑みをたたえてお辞儀をした。
やがてささやかなショーが始まった。
ビキニにスパンコールをつけた女たちが、二列になってゆらゆらと舞い踊る。
その中に、先ほどの女もいる。
しばらくそのさまをぼーっと眺めていたが、はっと我に返った。
そうだ。帰らなくては。終電がなくなる。
店を出ようとすると、女主人が近寄ってきて小さなトレイを手渡した。
お食事代 80万円と書いた紙がのっている。
思わず顔を上げると、眉間に傷のある色黒の大男が女主人の背後にぬっと立っている。
男の後ろには鏡張りの壁がある。
そこに映った自分は、すでに老人のように髪が真っ白になっていた。
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
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