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「コピーライターの左ポケット」の
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コピーライターの裏ポケット
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2011年12月11日
小松洋支 2011年12月11日放送
使命
小松洋支
明け方から降りはじめた雨のせいで、部屋はまだうす暗い。
鳥たちの声も、はるか遠くで鳴き交わしているように聞こえる。
きみはベッドでかすかな寝息をたてている。
朝の浅いまどろみに単調な雨音がまぎれこんでくるのは、
たとえようもなく幸せな時間だ。
その時間の中にわたしも一緒にいられたら、どんなにいいだろう。
だが、わたしは、行かなければならない。
ポットに熱い紅茶を入れ、
スクランブルエッグとパンを皿にのせ、
きみがいつも座るテーブルの右隅に並べる。
音を小さくしたテレビでは、欧州の金融危機が報じられている。
これからわたしが立ち向かわなければならない、
さらに大きな危機は、まだ誰も知らない。
極端に周波数の高い音が不意に耳を打つ。
わたしの戦う相手が動き出したに違いない。
わたしは寝室に戻り、眠っているきみを見下ろす。
胸のあたりからあごまで毛布を引き上げて、腕と肩を包みなおす。
それから瞼にそっとくちびるを触れる。
きみが目覚めたとき、わたしはどうしているだろう。
湖の底深く沈んでいるかもしれない。
音のない空間に放り出され、無表情のまま漂っているかもしれない。
たとえ戻ってこられたとしても、
わたしは戦いのことをきみに語らないだろう。
ただ笑って夕食のテーブルにつき、
きみがその日のできごとを懸命に話すのに、
黙って耳を傾けるだろう。
携帯受信機の着信ランプがついている。
おそらくは出動指令だ。
外に出ると雨は依然降り続いていて、
西の空は黒い雲が暗幕を垂らしたようになっている。
わたしはまだカーテンが引かれたままのきみの部屋を見上げる。
では、行くよ。
でもこれだけは覚えておいてほしい。
わたしが戦うのは、地球を守るためなどではない。
地球のひと隅で眠っているきみを、
ひとりの平凡な父親として守るためなのだということを。
わたしは内ポケットからウルトラアイをとりだし、装着した。
足が音速で地面を離れた。
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
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