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コピーライターの裏ポケット
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2012年04月29日
上田浩和 2012年4月29日放送
湖
上田浩和
山下くんは分厚い企画書をテーブルの上に置くと、
一枚ずつめくりながら説明をはじめた。
わたしたちは、わたしの部屋でテーブルを挟んで向き合っていた。
簡単に言うと、その企画は、
わたしの左肩の鎖骨の窪みに水を貯めて湖をつくる、というものだ。
わたしの鎖骨のかたちと深さは、湖にうってつけだという。
夏には、泳ぎに来る客が押し寄せ、
寒くなっても、釣り客がひっきりなしです。
湖面を大型の遊覧フェリーが横切り、
あたりは人々の笑い声で満たされるのです。
年間10万人の観光客を想定しています。
湖畔には眺望が自慢の大型ホテルを建設予定です。
などと並べ立てたあと、ぜひ力を貸してください!と山下くんは頭を下げた。
大学の後輩の頼みだから、
無下に断るわけにもいかない。
うまくいけば、鳥人間コンテストを誘致してもいい、
とだめ押しのつもりか、山下くんは語気を荒げたが、
その日はひとまず帰ってもらった。
急な話だ。ひとまずひとりになって考える必要があった。
その日の深夜。
寝付けないわたしはテーブルの前に座り、
頭のなかを整理するために、
複雑に絡みあった思いや考えを、丁寧にほどき、
皿の上に一枚いちまい重ねていった。
なにかをはじめたい、という思い。
もうそんなに若くはない、という思い。
だからこそいまやらなくては、という思い。
自分の鎖骨が湖になるとはどういうことなのか、という思い。
大勢の人々がわたしの左腕をつたって
湖に向かうときどんな感触がするのだろうという、思い。
わたしの鎖骨の中をブラックバスが回遊する、という思い。
それを釣りあげた人々の笑顔を見てみたい、という思い。
空を夢見た鳥人間たちの思い。
そんな見込みは全部はずれて誰も来なくて倒産するかもしれない、
という思いというか不安。
そんな思いたちを一枚ずつ重ねていった結果、
皿の上には、おいしそうなミルフィーユが出来上がっていた。
直径30センチほどの丸いミルフィーユは、自分でいうのもなんだが、
とてもおいしそうだ。
会社終わりにがんばってケーキ教室に通っていた成果が、
こんなところで現れるとは。
一口食べると、わたしの不安と葛藤と期待とが織りなすハーモニーが、
口のなかにふわっと広がった。
次の日。
8等分にしたうちの2ピースを箱に入れて、
わたしは、山下くんが勤める会社を訪れた。
それを食べながら、ふたりで話しをしたら、
わたしのなかから答えが自然と出て来る気がしたのだ。
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
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