コピーライターの裏ポケット

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2012年10月28日

上田浩和 2012年10月28日放送

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ハイヒール

          上田浩和

とある店で見つけたその黒いハイヒールが、
どうしても欲しかったわたしは、
その月の労働をすべてそのために捧げた。
そして給料日、仕事帰りに店に寄ったはいいが、
ハイヒールはもうそこにはなかった。
でも、売れたわけではなかった。
腸が飛び出したんだ、と店長は言った。
ちょう?と、聞き返したわたしの目も飛び出しそうだった。
店長が店の奥から持ってきたハイヒールは、
たしかにあのハイヒールではあったが、
両方のヒールが付け根から折れ、そこから、
ピンク色のやわらかい内蔵がぐっちゃり飛び出していて、
見ていると気分が悪くなった。
前日にやってきた豊満な女性客が
無理矢理試着したせいだという。
死の間際にあるハイヒールを店長がとめるのも構わずに
買い求め家に帰ると、さっそく手術にとりかかった。
指先で飛び出した内蔵をなかに押し込み、
瞬間接着剤でヒールを固定するという
10時間にも及ぶ大手術のあと、
こびりついた血を丹念にふきとってやると、
ハイヒールは元通りの美しさを取り戻した。

わたしは、ふつうのOLで医者じゃない。
つまり、無免許であんな大手術を行ったということで、
それはよくない。漫画じゃあるまいし。
で、わたしは、それから数日間、罪の意識に苛まされ続けた。
で、こんな苦しい状態はもう嫌だと思い、
で、警察に出頭する決意を固めた。
で、捕まって、で、裁判になって、で、15年服役して、
で、出所した日、家でわたしを迎えてくれたのは、
黒いハイヒールだけだった。

その晩、15年ぶりにハイヒールをはいた。
ハイヒールの美しさは変わらずだったが、
わたしのほうが、もうハイヒールに似合わなくなっていた。
両方のかかとに全体重をかけて立っても、
ヒールはびくともしない。
長い刑務所暮らしのせいで、わたしの身体はやせすぎていた。
ハイヒールをはいたまま家を飛び出し、
わたしは夜の街を全速力で駆けた。
ヒールが折れたのが分かった。でもかまわなかった。
踵に柔らかいものを踏んだ感触があったけどかまわなかった。
血が足跡になって残ったけどかまわなかった。
なにかにつまずいて転ぶまで走った。
豪快な転倒だった。視界がぐるっと高速回転した直後、
衝撃が全身を包んだ。
仰向けになり、月を見上げ、
息を切らしながら、お腹の周りを触った。
わたしは医者ではないから正確なことは言えないけれど、
脱腸はしていなかった。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/


posted by 裏ポケット at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 上田浩和 | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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