コピーライターの裏ポケット

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2013年05月05日

大石雄士 2013年5月5日放送

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「ケーキ屋」

     大石雄士(たけし)

客が途絶えてからもう1週間。
ユーカリが丘駅から徒歩15分の坂の途中にあるこのケーキ屋は、
まったくと言っていいほど人気がなかった。
場所が悪いのか、ケーキ好きな人が少ないのか、
ぜんぜん客が来ないのだ。
味は決してまずくはないが、リピーターがつくほどでもない。
お店の概観もキレイだが、子供がキライな歯医者に見えなくもない。
店の中には50歳を迎える無口なヒゲの店長と、
アルバイトで浪人生で茶髪の田中、二人きり。
アルバイトへの支払いもきついので、今は田中しか雇われていない。

「退屈っすねぇ。」
カウンターの内側で法学部の赤本を読みながら田中がぼやく。
田中にとっては、つくったケーキを切り分けるより、
まるごとバケツに捨てていく作業のほうが手慣れたものだ。
お昼にカランカランとドアの鐘を鳴らし
店長が材料の買い出しに出かけると、
田中は退屈のあまり、店内の4人がけテーブルの広いソファで横になって

ゴロゴロしはじめてしまった。うつぶせになったり。あおむけになったり。
退屈しすぎて、ゴロゴロゴロゴロしているうちに、
田中は、いつのまにか1本のロールケーキになってしまった。
カランカランという音が聞こえ、店長が帰ってくると、
店のソファに170センチメートルほどの大きなロールケーキが横たわっていた。
店長は、すぐに田中だとわかった。
ロールケーキの上に、赤本が乗っていた。
店長は悩んだが、厨房からナイフをもってきて、ロールケーキを右端から
3センチほど切って、口に運んだ。すごく退屈な味がした。
それは夢も希望もない味。灰色の生クリーム。
だが、意外とくせになる味でもあった。
店長は1週間かけて、朝、昼、夜と、ロールケーキをパクパクと食べつづけ、

一人で全部たいらげてしまった。けれどその間も、
客は一人もこなかった。
あんなに退屈そうだった田中だけど、
これだけ美味しく食べてもらえれば
幸せだったのでは、と彼は思った。
170センチメートルのロールケーキを食べ終わり、
またやることがなくなってしまった。
もうケーキをつくる気さえ、起こらなくなっていた。
店長は、店で一人きり、やることがなにも無いので、
ため息をつきながらソファに座り、
日差しが気持ちいいので横になってゴロゴロしていたら、
彼もまたひっそりと、ロールケーキになってしまった。

しかし、いまはもう店内には誰一人いなくなってしまったので、
誰かに食べられるよろこびを味わうことさえ、彼にはできなかった。


出演者情報:http://shibakusa.kokage.cc/


タグ:大石雄士
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posted by 裏ポケット at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大石雄士 | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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