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コピーライターの裏ポケット
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2013年07月07日
勝浦雅彦 2013年7月7日放送
「平凡保険」
勝浦雅彦
その日、東京には初雪が降った。息を吸い込むと、
胸の奥がちりちりと痛くなるような寒い夜だった。
ベッドの前には人だかりができていた。横たわるのは、ひとりの老人。
もう意識はないが、その表情は穏やかだった。ふいに、心電図が波打つのをやめた。
無機質な電子音が鳴り響くと看護婦がちらと医師の顔を見た、彼は進み出て告げた。
「ご臨終です」
人々が息を飲んだその時、
「カット!」
という勢いのある声が響いた。
ざわっと、その場の緊張がほぐれていく。メガホンを持った男が叫んだ。
「これで、友人、知人役の役者さんの勤務は終了です。
親族役の方は引き続き、葬儀を行いますので、移動をお願いしまーす」
田中かずみは、看護帽を脱ぐと、ふっとため息をついた。
「平凡保険」
その保険会社の面接で、取扱い商品の名を聞いたかずみは、キョトンとした。
でっぷり肥った、面接官は真顔でこういった。
「田中さん、あなたは自分の人生をどう思っていますか?
お話からして、きわめて平平凡凡。
おや、ご不満ですか?でも、それは最高の幸せなのですよ。
平凡であることの価値をわかってらっしゃるお客さんはたくさんおります。
そういう方は、自分の大切な人に対して、不動産でも膨大なお金でもなく、
誰から見ても普通で平凡な人生を残そうとするのです」
平凡保険の仕組みはこうだ。
たとえば、両親を亡くした子どもがいるとする。平凡保険に入っていれば、その両親の代役がその人生にそっと入りこみ、今までどおりの生活を送らせるのだ。
物心がついていた場合、速やかに催眠療法がおこなわれる。
かくして、受取人はまるで人生に波風など立たなかったように生きていける。
かずみは、5年前、息子夫婦と孫を事故で亡くした老人への平凡保険業務を今夜で終えたのだった。天涯孤独だったはずの老人は、家族や知人に看取られ安らかに旅立った。
むろん、演技研修を受けた、保険会社の社員や、外部委託の役者たちだが。
帰宅したかずみは、部屋のコタツに入り、みかんを食べながら考えた。
そもそも、平凡平凡っていうけど、平凡な人生なんてあるんだろうか、と。
かずみは押し入れから、古いビデオテープが入った箱を取り出した。
九州の実家の物置の奥底にあったのを見つけ、こっそり持ってきたものだ。
ビデオの中では、産声を上げたばかりのかずみの泣き顔や、
母がかずみを抱き上げて、父に笑いかける姿が映っていた。
よくあるシーン。かずみはひとり言をつぶやいた。
ちょっと笑いがこみあげてきた。
これが平凡なら、それはそれでいいのかもしれない。
あの面接官に言われたときはちょっと、むっとしたが、
私はけっこう幸せなのだ。
そんなことを考えながら、
かずみはテーブルにつっぷして、いつしか眠りについていた。
「カット!」
もう少し見続けていたら、かずみは、
ビデオの中の両親に向かって叫ばれた誰かの言葉を
聞いたかもしれない。
「ダメダメ、そんなんじゃ!この子は『愛情豊かに育てます特約』が付いてるんだから,
もっと可愛がってあげて!それじゃ、よーい、スタート!」
その晩、かずみは両親の夢を見た。
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