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コピーライターの裏ポケット
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2013年08月25日
上田浩和 2013年8月25日放送

EASY COME,EASY GO.
上田浩和
ハエとしての人生をおくっていたある夏の日、
ぼくは、牛の排泄物の周りを飛び回っていたところを、
牛の尻尾にはたかれ地面に叩きつけられた。
とても痛かった。
体に痛みのテーマパークが開園したのかと思ったほどだ。
あんな痛みやこんな痛み、そして、そんな痛みまでが
全身のあちこちで披露され、締めくくりとして、
体の真ん中を痛みのエレクトリカルパレードが賑やかに通過した。
軽快なリズムに合わせて全身は何度も痙攣し、
最後、痛ミッキーが大きくジャンプすると、その着地に合わせて、
真夏の草いきれのなか、ぼくは絶命した。
魂になったぼくはハエの体を離れると、
天使に導かれることもなくただ一人で上空にのぼっていった。
その途中、どんどん遠ざかっていく地表を見ながら、
やりきれない一生だったなと思ったのを最後に
意識は黒く塗りつぶされた。
いったいどれくらいの時間をそこで過ごしたのかは分からない。
一瞬だっかのかもしれないし、
永遠に近いくらいの時間だったのかもしれない。
死後の世界は楽園のように描写されることも多いが、
そこにはあらゆる概念が存在しないため、
実際には何も感じることができない。
死んだ実感すらないまま、
輪廻に従い次の人生に送り出されることになる。
ふたたび意識を取り戻したとき、ぼくはベンツの運転席にいた。
それに乗って、次の人生のスタート地点まで行けということだ。
ぼくはB’zの曲を響かせながら、闇夜に包まれた道を飛ばした。
フロントガラスの向こうにハエだったときに見た景色が、
つぎつぎと浮かんでは後ろに流されて行く。
松本のギターに合わせて、稲葉が声を張り上げていた。
ハエだったとき日本で流行っていた曲だった。
踊ろよLADY やさしいスロウダンス
また始まる 眩いShow Time
泣かないでBABY 力をぬいて
出逢いも別れも EASY COME,EASY GO!
しばらく走ると開けた場所に出た。港のようだった。
海の気配のむこうにフェリーが大きな影をつくっている。
駐車場にベンツを停め、外に出て、乗り場のほうを見たとき、
ぼくは「あっ」と言っていた。
そこにあったのは「to HUMAN」の看板。
ぼくは人間界行きの船に乗るこを許されたのだ。
つまり、次の人生を人として生きられるのだ。
乗り場に続く長い人の列の最後尾に並ぶ。
正確には人ではない。これから人として生まれてかわる魂の列だ。
そこにいた係員に聞いた。
ベンツに乗って行くことはできないのか。
係員はだめだと言った。
母親がエコー検査で胎内を見たとき、子供がベンツに乗っていたら
産む気をなくすし、産む気になったとしても、
ボンネットのエンブレムによって子宮内が傷つけられてしまう。
その説明を聞きながら、ぼくはまだ見ぬ母親の顔を思い浮かべた。
汽笛が鳴った。次の人生が始まる合図だった。
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
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