コピーライターの裏ポケット

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2013年10月13日

小松洋支 2013年10月13日放送

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幸せを売る男

           小松洋支

「幸せ、売ります。」
と書かれた板を両手で持ち、
雪が舞う空をときおり見上げながら、
その男は街角に立っていました。

灰色のとっくりセーターに、ところどころ破れた革の上着。
兵士がはいているような裾のつぼまったズボン。
泥だらけのブーツ。
足もとには大きなトランクと、毛むくじゃらの犬。
茶色がかった穏やかな眼が、帽子の庇ごしに世間を眺め渡していました。

朝からずっと、男はそこに立っているのでしたが、
行き交う人々は、皆ちらと視線を送るばかりで近寄ろうとはせず、
ただ学校帰りの子どもたちが物珍しげに男を取り巻いて
口々に話しかけたり、犬を撫でたり、
その時ばかりはにぎやかだったのですが、
やがて潮が引くように子どもたちもいなくなり、
夕闇が迫ってきました。

停車場が近いというのに、夜になると人通りはごくまばらになり、
雪は勢いを増して降ってきましたが、
男はずっとそこに立ち続けていました。
酔っ払いが通りかかって、物乞いと間違えたのか、
小銭を放っていきました。

男が帰り支度を始めたときです。
ひとりの少女が近づいてきました。
この寒空に外套も着ないで、古びた木綿の服と、古びた頭巾と、古びた肩掛け。
裸足にすり減ったサンダルを履いています。

「あの、あなたは幸せを売っているのですか」
少女はおずおずと男に声をかけました。
「そうですよ」

「幸せは、さぞかし高いんでしょうね」
「値段は決まっていないんです。不思議でしょう」

少女は男を見上げ、しばらくためらっていましたが、
腕にかけていた籠の中から10クローネを差し出しました。
(それだけあれば、黒パンと塩ニシンが買えるというのに)

男は硬貨を受け取り、トランクを開けて小さな包みを少女に渡しました。

「では、ごきげんよう。お幸せに」

男の後ろ姿が見えなくなってから、少女は包みをほどいてみました。
中に入っていたのは、マッチ箱くらいのオルゴールでした。
おそるおそる蓋を開きます。
と、聞き覚えのある音楽が流れ出しました。

自分がまだ幼かった頃、ふるさとの家の、緑にかこまれた庭で、
祖母がよく歌ってくれた「恋する乙女とツグミ」の歌 ―――

少女はうっとりと眼を閉じました。

次の日、人びとが朝日の中で見たのは、
幸せそうな微笑を浮かべながら、雪の中に横たわっている少女でした。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
タグ:小松洋支
posted by 裏ポケット at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小松洋支 | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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