コピーライターの裏ポケット

こちらのブログは
「コピーライターの左ポケット」の
原稿と音声のアーカイブです




2013年12月01日

三島邦彦 2013年12月1日放送

mishima.jpg

「蟹」

        三島邦彦

蟹がいた。正確に言うと、世界を呪う蟹がいた。

蟹は、蟹だ。
甲羅があってはさみがある。泡も吹けば、
ゆでると赤い。あの、蟹だ。

蟹はもともと世界を呪ってはいなかった。
というか、何も考えてはいなかった。
卵からかえって以来、自我というものを持たなかった。
蟹の寿命は短くても20年にのぼる。
この蟹は24年、自我を持たずに暮らしてきた。

自我をくれたのは、海だった。
それは厳しい冬の夜。海の上には雪がちらちらと舞い続ける。
人はできるだけ海に近づかない。それを職業とする人々以外は。

蟹は、浜辺にいた。じっと海を眺めていた。
はさみはせわしなく砂と口の間を動き続けていたが、
蟹の視線はずっと海から動かなかった。
舞い散る雪と白波が、
闇の中をほのかに白くぽわぽわと浮かんでは消えていた。

蟹は、海の向こうから自我がやってくるのを見ていた。
自我はゆっくりと、波に乗ってやってきた。
今まで脊髄反射だけで生きて来た蟹は、
それが自我だとはわからなかった。
蟹は自我に魅入られた。はさみを絶え間なく動かすほかには、
なにもできなかった。
自我はゆっくりと蟹に近づき、蟹の自我となった。

自我の到来に蟹は慌てた。世界で初めて、
自我を持った蟹となったのだから。
蟹は、他の蟹たちにも自我をもたらそうと、
浜中の蟹を集めて四列に並べた。

自我は来なかった。代わりに人間がやってきた。
人間は、蟹を一網打尽にした。

蟹がいた。正確に言うと、
世界を呪いながら死んでいった蟹がいた。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/


タグ:三島邦彦
【三島邦彦の最新記事】
posted by 裏ポケット at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 三島邦彦 | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック