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コピーライターの裏ポケット
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2015年02月15日
小松洋支 2015年2月15日放送
手紙
小松洋支
ちゃんと顔を見て話そうかなとも思ったのですが、
そうするとついつい冗談めかしてしまうので、
こうして手紙を書いています。
思い出すことはたくさんあるのに、
楽しいことより、悲しいこと、悔やまれることの方が先に立つのは
なぜなんでしょうね。
わたしが5歳の頃です。
コアラみたいに腕に抱きつく人形がとても流行しました。
浮き袋と同じで、息を吹いてふくらませるビニール製の人形です。
わたし、それが欲しかった。
友だちがみんな持っていたから。
でも、買ってもらえなかった。
なぜだか理由は分かりません。
脱サラしたお父さんの仕事が軌道に乗っていなくて、
僅かなお金も倹約しなければならなかったのでしょうか。
いまとなっては分かりません。
代わりにお母さんはぬいぐるみを作ってくれました。
みんなが持っている人形とそっくりの、
腕に抱きつくぬいぐるみ。
針金で型をつくって、綿(わた)をまとわせ、
洋裁で残った布地を縫い合わせ、眉と口を刺繍して、
目はガラスの丸いボタン。
お隣のおばさんが回覧板を届けに来て
驚きの声をあげたのを覚えています。
「まあ、なんて上手にできてるのかしら!」
でも、わたし、そのぬいぐるみが気に入らなかった。
だから、それを腕につけて外に遊びに行かなかった。
みんなと同じビニールの人形じゃないのが、恥ずかしかったんです。
何時間もかけて、わたしのために作ったぬいぐるみ。
なのにお母さんは、決してわたしを咎めたりしませんでした。
おもちゃ箱に置き去りにされたぬいぐるみを
立ったままちょっとさびしそうな顔で眺めているお母さんの姿を、
わたし、廊下から覗いたことがある。
そのぬいぐるみがどんなだったか、いまでもはっきり思い出せます。
丸みをおびた曲線があたたかい、
誰かと本当に腕を組んでいるように肌になつかしく触れてくる、
大人になったいまのわたしからすれば、
ビニールを張り合わせた人形なんかより、
ずっとずっと上等な、
世の中にひとつしかないぬいぐるみでした。
ごめんなさい。
安っぽいものと価値あるものの見分けがつかないこどもだったこと、
ごめんなさい。
けれども、そんなことの見分けがつかないのも、
こどもがこどもという時間を生きている証拠。
お母さんはそんなふうに受け止めてくれていたんだろうな。
そう思います。
ありがとう。
この夏、わたしも、お母さんになります。
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
タグ:小松洋支
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