コピーライターの裏ポケット

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2011年10月02日

八木田杏子 2011年10月2日放送

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カゼバンク

              八木田杏子

好きな子の誕生会がある日は、カゼをひきたくない。
マラソン大会の日は、カゼをひきたい。堂々と休みたい。
てるてる坊主をつくって明日の天気を祈るよりも、
僕は明日のカゼを祈ることのほうが多かった。
自分の都合でカゼを預けたり借りたりしたくて、
いつしかおまじないのように、心のなかで唱えるようになっていた。
明日はカゼをひきたくないから、お預けします。
今日はカゼをひきたいから、お借りします。
思い通りに熱が出ると、「病は気から」って本当なのだなと思った。

僕は知らないあいだに、取引をしていたらしい。
お金をやりとりするみたいに、
カゼを預けたり借りたりする銀行、「カゼバンク」を利用していたのだ。
最近は、ちょっとした合コンやプレゼンでも
カゼを預けるようになっていたから、限度額をこえてしまったそうだ。

僕の会社にいきなり訪ねてきたカゼバンクの銀行員は、
そんな話を一方的に喋りつづける。
身に覚えはあっても、めずらしい詐欺師にしか思えない。
腕時計を見て、10分もムダにしたことを悔やんだ。
「失礼します」と言って立ち去ろうとすると、
彼は明細表をつきつけてきた。

えりちゃんの誕生日会  カゼ預ける
清心女子大とのコンパ  カゼ預ける
山川課長とのゴルフ  カゼ借りる
T社競合プレゼン  カゼ預ける

僕しか知らないはずの個人情報が記載されている。
追い打ちをかけるように、銀行員がたたみかけてくる。

「限度額をこえた半年分のカゼをお受け取りください。
 38度ほどの発熱がつづくので日常生活には支障がでます。
 最近は、退職されたご両親が代理人として受けとるケースが増えています。
 その場合、体力が落ちているので、一年ほど寝込むことになります。」

淡々と、おそろしいことを言うものだ。
僕のかわりに親が寝込めばすむなんて知ったら、
うちの母は勝手にサインをしてしまいそうだ。

「一日分のカゼをお渡ししますので、よくお考えください。」
そう言いながら強引に握手をして、銀行員は立ち去っていった。

みるみる身体が熱くなっていく。
どうにか自分の席にたどりついて、椅子に倒れこんだ。
すこし手が触れただけなのに、
山積みにされた資料が、ざぁっと崩れていく。
机からすべり落ちていく紙を、もはや拾う気になれない。
どの案件も、もうすぐ僕の手を離れる。
何よりも仕事を優先して
積み上げてきたものが、あっけなく崩れていく。

しばらくすると、足元からガサゴソと音がしてきた。
となりの席の先輩が、散らかった紙を拾い集めてくれている。

「頑張るのはいいけど、仕事に殺されるなよ。」

いちばん厳しい先輩が、いちばん優しい人だった。
しばらく休んだら、この人のとなりで、やり直そう。



出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
タグ:八木田杏子
posted by 裏ポケット at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 八木田杏子 | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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