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コピーライターの裏ポケット
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2012年05月06日
北田有一 2012年5月6日放送
わたしは、優勝できなかった。
北田有一
社交辞令の世界大会は、毎年、タイのパタヤで開かれる。
世界中から集まった選手が社交辞令を交わし、
その技を華麗に競い合う。
わたしは六本木のクラブでホステスをしていた時に、
お客さんからスカウトされた。
はじめは失礼な客だと思ったが、10年に1度の逸材だと言われ、
彼の熱心な口ぶりに負けた。
いま思えば、それも社交辞令だったのかもしれない。
とにかく暇つぶしとして無料体験レッスンに行ってみた。
先生からも才能があると言われ、上級クラスを薦められた。
小さい頃から、容姿以外を誉められたことのなかったわたしは、
悪い気がしなかった。
3年くらい勉強を続けると、もう先生と呼べる人はいなくなった。
塾長から教える側にまわらないかと誘われ、ホステスを辞めた。
あれから10年。
恋愛も結婚もせずに、社交辞令のトレーニングを続けた。
ついに念願の、日本代表にも選ばれた。
しかし、体力の限界だった。
社交辞令を長く続けていると、なぜか不眠症になるのだ。
どこの国の選手に聞いても同じ。
ぐっすり寝ているのは、きっと、イタリア人くらいだろう。
彼らは、サッカーの世界で言うところのブラジルだ。
言葉を覚える前に、社交辞令を覚えたといっても過言ではない。
でも、わたしにはもう無理だ。
最後に優勝して、きっぱり引退しよう。
そう心に誓って、タイへ向かった。
本戦は、さすがの強者揃い。
社交辞令には細かく分けると12のパターンがあるとされているが、
試合時間20分の中で、すべてが出つくすこともあった。
わたしは、得意技の「ビッグマウス・ドロップ」という
上から目線の高度な社交辞令を武器に、なんとか決勝へ進んだ。
しかし、決勝の相手が悪かった。オランダのニコラスである。
わたしが最も苦手な「スマイル&アクション」という
カラダ全体を使って表現するタイプの社交辞令選手だ。
始めは互角に戦っていたが、
後半になると彼の社交辞令がボディブローのように効いてきた。
わたしの心は折れてしまった。
試合が終わると、ニコラスが私のところへ来た。
ひと通りの社交辞令を述べたあと、「また来年も会おう」と言った。
わたしは、「二度と来たくありません」と正直に答えた。
ニコラスは一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
わたしは、優勝できなかった。
でも、今夜はよく眠れそうだ。
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
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