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2012年07月08日
小室市太郎 2012年7月8日放送
「父の手帳」
小室市太郎
父が逝った、という連絡のあった日、
流すべき涙など、ぼくにはあるわけもなく、
少しは感傷的になろうと試みたのだが、
やっぱり、それはどこまでも他人事のようだった。
ただ、「親父が死んだ」という言葉だけは、
耳鳴りのように、耳の奥にこびりついていた。
親父が死んだ・・・。
父の最期は、孤独なものだった。
病院のベッドで、誰に看取られることもなく
その時をむかえたという。自業自得だよ、親父。
冷たく聞こえるかもしれないけれど
父は、家族を捨てた人なのだ。母やぼくたち兄弟の
その後の苦労を思えば、当然の報いではないか。
親父が死んだ・・・
今際の際で、父は何を思ったのだろう。
家族を手放してしまったことへの後悔、空虚、寂寥。
そういう類いものは果たしてあったろうか。
それとも、残した家族のことなど考えることもなく
人生の幕を閉じていったのだろうか。
思えば、ぼくたち兄弟には、
世の中のほとんどの人が、一つや二つは大事に持っている
父親との思い出というものがなかった。
キャッチボールも、キャンプも、背中の洗いっこもない。
ぼくらが父を忘れることは、難しいことではなかった。
だから、父もまた、ぼくらのことを忘れていたとしても
まったく不思議ではないし、だからと言って
どうってことはなかった。とっくに縁は切れているのだ。
親父が死んだ・・・。
亡き父との再会は、東北の田舎町にある父の実家で、
父はすでにお骨になっていた。
新しい家族を持たなかった父の死後、
葬儀の一切や、晩年を送っていたアパートの後片付けは
父の親戚の仕切りによって既に済まされていた。
再会のその時でさえ、ぼくに特別な感情はなく、
いまこの場所にいることも、義務的な行動にすぎなかった。
納骨の日の朝、叔父が一冊の手帳を手渡してきた。
それは、何の変哲もない黒い革のビジネス手帳で、
持ち主がよほど使い込んだのだろう、用紙が膨らみ、
いびつな形をしていた。
それが父のものであることは、容易に想像がついた。
無口な叔父が、微かに顎を動かして中を見るように促している。
ぼくは、表紙をめくり、そこに書かれていた文字に目を落とす。
ぼくたち兄弟の名前と、生年月日だった。
親父が死んだ・・・。
ぼくは静かに手帳を閉じ、そっと顔を上げてみた。
父の育った故郷の景色が霞んでいた。
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
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