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「コピーライターの左ポケット」の
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コピーライターの裏ポケット
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2012年09月09日
井指陽 2012年9月9日放送
090
井指 陽(いさしよう)
またやってしまった。
何度めになるだろう。酔っぱらって携帯を失くし、
こうして自分の携帯に、うんざりしながら電話をするのは。
“トゥルルル.. トゥルルル..”
こういう時、だいたい半々の割合で
留守電に繋がるか、どこかの人が電話に出てくれる。
でも今回は、どちらでもなかった。
“もしもし” 電話の声の主は、あろうことに、私だった。
正確にいえば、録音を通して聞くことのある
ちょっとすました感じの自分の声だ。
でもそんなわけない、と気を取り直して話し始める。
“あの、携帯を失くして自分の番号に掛けているのですが”
“もしかして、私ですか” “え”
“もしかして、あなたは、未来の私ですか”
やりとりを重ねるうちに、ようやくわかった。
向こうは24歳、つまり9年前の私のようなのだ。
“質問、していいですか” 自分の未来が気になる、過去の私。
“ええ、いいわよ” 先輩らしく、余裕をみせる未来の私。
“今、大人として、ちゃんとやっていますか”
言葉に、詰まった。いけない、先輩としてちゃんとしなきゃ。
“じゃあ、あなたはどうなっていたいと思う?”
“結婚して、” “あ、してない”
“子どもがいて、” “いないねえ”
“車を乗りこなしていて、” “全然乗ってないなあ”
“やみくもにお菓子とか食べない” “お菓子、やめられないわ”
“はぁ” 明らかに落胆している9年前の私。“ちょ、ちょっと”
“全然、相変わらずじゃない” このままじゃあんまりだ。よし。
“今はね、誰かに幸せにしてもらおうって思うのは、やめたの”
“え” 9年前の私は、図星を指されて言葉に詰まっている。
そうだった。このころの私は、そういう甘い考えを持っていた。
“自信を持てることを見つけて、周りの人に頼りにされて、
自分で、自分を幸せにするんだって、わかったの”
どう?大人でしょう。でも、返ってきたのは意外な言葉だった。
“なーんか、強がってない?”
あ。ちょっと痛いところを突かれた感じ。
“別にいいと思うけどさ” “けど?”
“自分ひとりでできることって限界があるんだから。
甘えるのもひとつの仕事だし、それに優しさでもあるんだよ”
今度は、先輩である私が図星を指された。
“そうかも” 甘えるのも優しさ。わかってはいるんだけど、ね。
“それが本当の大人なんじゃない。
あと…酔って携帯失くすとか、論外だからね”
あ、そういえば私の携帯。と言おうとすると、
“じゃあね”と、あっさり電話は切れた。
呆然と、握りしめたままの電話に目を落とす。
その電話は、紛れもなく自分の携帯そのものだった。
酔った私は、訳のわからないままに
自分で自分の番号を押していたらしい。
ちいさな時間の旅。
090からはじまる数字のパスポートで、私は
9年前の自分に、会いに行って来たのだった。
出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/
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