コピーライターの裏ポケット

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「コピーライターの左ポケット」の
原稿と音声のアーカイブです




2013年12月08日

三島邦彦 2013年12月8日放送

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「二日酔い食堂」

       三島邦彦

二日酔い食堂はオープン初日から抜群の売れ行きを見せた。

そこは大きな会社の社員食堂。
明け方まで飲み歩き、ガンガン響く頭痛とただれた胃に悩みながら
出社した社員たちが
次々と二日酔い食堂へ足を運ぶ。

二日酔い食堂にあるメニューは、その二日酔いの重さによって分けられる。
軽い二日酔いであれば、しじみ汁や月見うどん、
滋味、という言葉がぴったりの温かなスープがのどを通って胃に落ちていく。
重い二日酔いになると、坦々麺やカレー。
ひとくちひとくちが、荒れ狂うアルコールを分解するためのエネルギーにかわる。
食べ終わるころには、頭痛も胃もたれも思い出せないくらい遠くへいってしまう。
そして二日酔いを忘れた社員たちは午後を精一杯に働き、
また夜の街へと足を運ぶ。二日酔いなんて怖くないという顔をして。

二日酔い食堂の営業に陰りが見えて来たのは、
ちょうど日本で有数の大きな金融機関が破たんした頃のことだった。
何が安心なのかがわからなくなった人々は、
それまでのように無邪気にお酒を飲むことが難しくなった。

自制しながら飲むお酒は二日酔いをしない。
二日酔いは楽しすぎた時間の代償なのだ。

二日酔いの人が減ると、当然、二日酔い食堂を訪れる人は減る。
みんながみんな二日酔いをしていたから、
この会社では朝に打ち合わせをすることはほとんどなかったのだが、
二日酔いをする人が減ると、午前中にも会議が開かれるようになった。
そうすると当然、二日酔いをしている人は
だらしがない人、だめな人だと思われるようになる。
だんだんと、二日酔い食堂に行く姿を見られることが気まずくなっていった。

二日酔い食堂の閉店が決まった。
最後の客はその日で会社を辞める若手社員で、
前日は盛大な送別会だったという。
あたたかいしじみ汁が出され、
すっかり顔色を取り戻した彼は、お会計を済ませると店員に声をかけた。
「こんなにおいしいしじみ汁があるのなら、
もう少し会社にいたいですけどね。」
最後の客を見送って、二日酔い食堂はその歴史を静かに終えた。
その夜、二日酔い食堂の店主は、生まれて初めて深酒をした


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/


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2013年12月01日

三島邦彦 2013年12月1日放送

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「蟹」

        三島邦彦

蟹がいた。正確に言うと、世界を呪う蟹がいた。

蟹は、蟹だ。
甲羅があってはさみがある。泡も吹けば、
ゆでると赤い。あの、蟹だ。

蟹はもともと世界を呪ってはいなかった。
というか、何も考えてはいなかった。
卵からかえって以来、自我というものを持たなかった。
蟹の寿命は短くても20年にのぼる。
この蟹は24年、自我を持たずに暮らしてきた。

自我をくれたのは、海だった。
それは厳しい冬の夜。海の上には雪がちらちらと舞い続ける。
人はできるだけ海に近づかない。それを職業とする人々以外は。

蟹は、浜辺にいた。じっと海を眺めていた。
はさみはせわしなく砂と口の間を動き続けていたが、
蟹の視線はずっと海から動かなかった。
舞い散る雪と白波が、
闇の中をほのかに白くぽわぽわと浮かんでは消えていた。

蟹は、海の向こうから自我がやってくるのを見ていた。
自我はゆっくりと、波に乗ってやってきた。
今まで脊髄反射だけで生きて来た蟹は、
それが自我だとはわからなかった。
蟹は自我に魅入られた。はさみを絶え間なく動かすほかには、
なにもできなかった。
自我はゆっくりと蟹に近づき、蟹の自我となった。

自我の到来に蟹は慌てた。世界で初めて、
自我を持った蟹となったのだから。
蟹は、他の蟹たちにも自我をもたらそうと、
浜中の蟹を集めて四列に並べた。

自我は来なかった。代わりに人間がやってきた。
人間は、蟹を一網打尽にした。

蟹がいた。正確に言うと、
世界を呪いながら死んでいった蟹がいた。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/


タグ:三島邦彦
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