コピーライターの裏ポケット

こちらのブログは
「コピーライターの左ポケット」の
原稿と音声のアーカイブです




2014年05月18日

小松洋支 2014年5月18日放送

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         小松洋支

神を見ようとした男がいた。
2137年のことである。

男はイスラエルのハイテク企業に働きかけ、
神のシミュレーションほど効果的なPRはない、と説得して、
その企業が製造しているスーパーコンピュータを、自由に使用する権利を得た。

男の考えは、こうだ。
古代から現在に至るまで、あらゆる時代、あらゆる地域に
さまざまなかたちの神が存在する。
それは、人間が、神の一部分だけ見ているからではないか。

神を象にたとえてみよう。
ある宗教は、象の鼻に触れて、神は長くて柔らかい、と言う。
またある宗教は、象の足に触れて、神は太い柱だ、と言う。
さらに別の宗教は、象の腹に触れて、神は大きな壁だ、と言う。
そんなふうに、あらゆる宗教が神の一部分しか捉えていないのだとしたら、
すべての部分をかき集めれば、神の全体が見えてくるはずだ。

男は、宗教の聖典を次々にコンピュータに読み込ませた。
聖書、クルアーン、あまたある仏典はもちろん、
ヒンドゥー教、ゾロアスター教、ジャイナ教、マニ教、神道などの経典。
さらには途絶えてしまった古代宗教から、
近現代に新しく興った宗教まで、できる限りを網羅し、
その教え、教祖のエピソードなどをインプットした。

経典をもたない宗教については、
シャーマンや人類学者を招き、その語るところを聞きとって入力した。
これらの作業に5年近い月日を費やした。

膨大なデータが集積されると、男はコンピュータに指示した。
「これらの情報から、“神”と呼ばれる存在をシミュレーションせよ」

コンピュータは解析を始めた。
3日目にシステムトラブルを起こしたため、演算装置を100ユニット増設した。

シミュレーションの結果をいち早く知ろうと、報道関係者も詰めかけていた。

10日目、突然、すべての処理が停止した。
エンジニアたちが、何事かとコンピュータ室に走った。
報道関係者も続いた。
彼等の目に映ったのは、両手に、引き抜いたコードを何本も握って
こみ上げる笑いに肩をふるわせている男の後ろ姿だった。

「プロジェクトは終了しました。
ついに神は目撃されたのです」

そう言うと、男は、ゆっくりと振り返った。
目の焦点が合っていなかった。

「神は私にだけその姿を現し、すぐにお命じになりました。
お前を唯一の預言者と定めて、われの教えを授ける。
われを信じ、われの導きに従うよう、世の人びとに伝えよ。
われを疑う者は、おそるべき災いを以て報いられるであろう」

男の手からコードの束が床に落ちた。
ふたたび襲ってきた笑いの発作をこらえながら、
男は、立ちすくむ人びとの方へ一歩踏み出した。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/



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2014年04月20日

小松洋支 2013年4月20日放送

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長い旅
              小松洋支

飛行機には何時間乗ったかな。
10時間以上じゃなかったろうか。
直行便がないので、乗り換えをしなくちゃならなかった。
待ち時間が5時間!

やっと目的地の空港に着いたのは明け方で、
まだ日は昇ってなかったけど暑かった。
空港で働いている人たちはみんな明るくて、
大きい声で何か言っては笑っていた。

それからクルマで1時間。
事務所で係りの人がぼくの顔を見てヒューと口笛を鳴らした。
まだこの先長いよ、ということなんだろう。

違うクルマに乗ってまた2時間。
着いたのは狭い港町で、
煉瓦づくりの小さなアパートがひしめいていた。
あたりには揚げた魚とジャガイモの匂いが漂っている。
はだしの子どもたちがボールに群がっている。

クルマを運転してきた男といっしょに船に乗りこんだ。
海は凪いでいる。
底の岩礁までとどくほど陽射しが強い。
ウミネコが鳴いている。
いくつも島が見える。
あの島かな、と思うと通り過ぎる。
また通り過ぎる。
ときどき浜辺でこちらに手を振る人がいる。

お昼近くになって、ようやく船が速度をゆるめた。
岸近くまで濃い緑におおわれたちっぽけな島の、
白く塗られた桟橋に停まる。

男はぼくを連れて、急な坂道を上っていく。
名前を知らない南国の花が咲き乱れている。

坂のてっぺんに赤い屋根の家がある。
ドアをノックするとブロンドの女が出てきた。
目じりに笑いじわがある。
おおげさな身振りでぼくたちを歓迎する。

やがて男は片手をあげて挨拶し、船に戻っていった。
ひとりになった女はぼくをじっと見つめた。
「ずいぶん久しぶりだこと」
ぽつりと口に出す。

それからぼくの封を切り、ひろげて読みはじめた。
何度も、何度も、読み返す。

「ばかね」
女はつぶやいた。

ぼくの上に、ぽたりぽたりと、涙が落ちた。


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2014年03月16日

小松洋支 2014年3月16日放送

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母と子

          小松洋支

その日はよく晴れていて、電車の中にも明るい陽が射しこんでいました。
お昼近い車内はすいていました。
こんなゆるやかな時間の流れている各駅停車の窓から
沿線のなんでもない風景を見るのが好きです。

線路に近いところまでせまっているアパートの2階に、
ミッキーマウスのタオルが干してあったり。
昭和のたたずまいのパン屋さんの前で、子どもが縄跳びをしていたり。
「川をきれいにしよう」という横断幕が、小さな橋にかかっていたり。
そういうのを見るとなんだか安らかな気持ちになるのです。

とある駅に着いたときのことでした。
乗りこんできたふたりが、向かいの席に座りました。
「あ、親子だな」と思いました。
面ざしが似ているのです。
母親はやせていて顔も細く、子どもは頬がふっくらしていますが、
目もとから鼻にかけてのつくりが、そっくりです。

電車が動き出すと、母親は巾着袋を開けてドーナツを取り出し、
娘に渡しました。
娘はドーナツを持ってしばらく眺めていましたが、
ふたつに割って半分を母親に差し出しました。
母親は笑ってそれを受け取りました。

けれども母親はそのドーナツを手にしたまま、
娘が食べるのを見守っていました。
娘が食べるように促しても、うなずくばかりでした。

「お母さんも食べな」
娘が何度目かにそう言ったとき、
母親はようやくドーナツの半分をふたつに割り、
時間をかけて4分の1を食べました。
でも残りはずっと手に持っていました。

やがて乗り換えの駅に着きました。
ホームに降り立って、動き出した電車をふりかえると、
窓ごしにあの親子が目に入りました。
ふたりは黙って、でもにこやかに正面を向いて座っていました。
ドーナツの4分の1は娘が手にしていました。

母親は70歳、娘は50歳くらいに見えました。

まだ冷たい風の中に、かすかに春の匂いがするようでした。


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2014年01月12日

小松洋支 2014年1月12日放送

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そんな日

          小松洋支

「岩下の新生姜を買っておいてください」
というメモを残して家を出てから、
あの人は2日帰ってきていない。

そんなに心配してはいないのだけれど、
あの人が行きそうなところを、いくつか回ってみた。

手始めに、デパートの屋上。
ここからは町の四方がぐるっと見渡せる。
冬は空気がつめたく澄んで、
北の山並の輪郭がくっきりとして、
なんだか視力があがったように感じる。

屋上には熱帯魚の売り場もあって、
アラジンのランプの精が持っていそうな
「大きな刀」に似た銀色のアロワナを眺めたり、
水に浮かんでいるホテイアオイの、
あのぷくっとふくれた部分には何が入っているのだろうか、
などと考えているだけで時間を忘れる。

それから、川沿いの小学校に回る。
放課後の子どもたちが、かん高い声を上げて校庭で遊んでいる。
「高オニ」とか「だるまさんが転んだ」とか、
自分たちが子どもの頃やっていた遊びが
いまでも続いているのにちょっと感動する。
それにしても
鉄棒って、すっごく低かったんだなあ。
ジャングルジムって、こんなに小さかったんだなあ。

その次は、商店街のはじっこの「弥太郎」という焼鳥屋さん。
お昼から、夜中の3時までやっている。
皮とレバが絶品で、いつ行っても混んでいる。
アメリカ人のデイビスという常連客がいて、
いつも表の丸椅子に座っているので、
マルイス・デイビスと呼ばれている。
店の奥を覗きこむと、白髪のご亭主が
炭火の前で黙々と串をひっくり返している。

猫がよく集会を開いているバス通り裏の公園にも行ってみた。
ベンチに老犬を連れた老人がひとり。
どちらも置物のように動かない。

いないなあ。
どこへ行ったんだろう。

あきらめて家に帰ると、あの人があぐらをかいて
ビールを飲んでいた。
「どこ行ってたの、2日も?」
そう言いながら冷蔵庫を開けて、
あの人は岩下の新生姜を出してくる。
「ほら、買っといたよ、これ」

それから、お皿にハムと新生姜を並べ、ふたりでビールを飲んだ。

とくに何もしてないけど、生きてるだけで楽しい。
そんな日だった。


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2013年12月15日

小松洋支 2013年12月15日放送

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           小松洋支

蜂蜜の入った甘い紅茶を飲む夢を見ていた私は、
突然めざめた。
深夜だった。
細めに開けた窓から、月の光とジャスミンの花の香りが部屋に流れこんでいた。

何かが私を呼んでいた。
とても遠いところから呼んでいた。
その声に導かれるようにドアを開け、階段を下り、
夜の庭にさまよい出た。

月が照っていた。
何の音もしなかった。
何の音もしない音 がしていた。

呼び声は続いていた。
その声には聞き覚えがあった。
それは私が生まれる以前のことだった。

私は庭にあるスズカケの木に近づき、幹を見つめた。
手と足がごく自然に動いて、気がつくと梢近くまでよじ登っていた。

「今こそその時だ」
私はそう思った。
何か が私にそう思うようにさせた。

まもなく手足の動きが止まり、
体が乾いた硬い物体に変わり、
やがてゆっくりと背中に亀裂が入った。

そこで意識が途切れた。

意識が戻ってきたとき、
私は自分に何が起こったかを悟った。

目の前に、自分が脱ぎ終わろうとしている 過去の自分の背中が見えていた。

はるかな声が、私に命じた。

「飛べ」

あたらしい私の背中で、大きな翼がはためいていた。
私の眼は万華鏡のように分割され、
夜の庭がいくつもそこに映りこんでいた。

「飛べ!」

再び声が命じた。

私はスズカケの梢を離れ、
月に向かって飛び立った。


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2013年11月17日

小松洋支 2013年11月17日放送

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ちゅうもんの多い料理店

小松洋支

料理店を開いたんです。
でも、ただの料理店じゃないんですよ。
「ちゅうもんの多い料理店」。

たとえば壁に貼ってあるおすすめメニューを見ると
「激辛カレー」と書いてある。
一口食べるとたちまち汗がふきだすスパイシーなカレー、
を想像しますよね、ふつう。
ところが運ばれてきたカレーは、学食で出るような
黄色くて具がほとんどない、ぞんざいな代物で、
なんだこれ、と思っていると
そのカレーを運んできた店員があなたの向かいに座り、
身の上話をはじめるんです。
岡山の田舎で生まれ、中学生の頃両親が離婚、祖父に預けられる。
祖父の酒乱に耐えきれず、高校を中退して大阪に逃れ、スナックで働く。
スナックの常連客である、耳毛がぼうぼうに延びた老人に言い寄られるのがイヤで、上京。
イヤと言えば、自分の鼻の下にほくろがあるのがイヤで仕方ない。
プチ整形したいけれど、店の給料は安い。
そんな話をずーっと聴きながら、ぞんざいなカレーを食べるんです。
辛(つら)いでしょう。

そう、よく見るとメニューにちゃんとルビがふってあるんですね。
「激辛(つら)カレー」って。

それから、「ハヤシライス」。
こんどは、わりとまともなハヤシが来ます。
で、スプーンを手にして食べようとする。
するとそこへ、小学生のワルガキが5人くらい集まってきて、口々に叫ぶんです。
「あー、こいつこんなの食べてやんの」
「おーい、みんな見ろ」
「ヤッベー」
「ウッゼー」
「ダッセー」

ええ。それはやっぱり、「ハヤシ」 ライスですから。

それから、それから、「行列のできるブルーベリータルト」。
行列、確かにできてます。
店の外から、あなたのテーブルまで。
ながーい、くろーい
蟻の行列が。

それから、それから、
え?もういいよ?
だいたい、なんで「ちゅうもんの多い料理店」なんだ、ですって?

ほら、よく見てくださいよ、看板を。
小さな文字で書いてあるでしょ。
「なんだこりゃ!っちゅうもんの多い料理店」


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2013年10月13日

小松洋支 2013年10月13日放送

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幸せを売る男

           小松洋支

「幸せ、売ります。」
と書かれた板を両手で持ち、
雪が舞う空をときおり見上げながら、
その男は街角に立っていました。

灰色のとっくりセーターに、ところどころ破れた革の上着。
兵士がはいているような裾のつぼまったズボン。
泥だらけのブーツ。
足もとには大きなトランクと、毛むくじゃらの犬。
茶色がかった穏やかな眼が、帽子の庇ごしに世間を眺め渡していました。

朝からずっと、男はそこに立っているのでしたが、
行き交う人々は、皆ちらと視線を送るばかりで近寄ろうとはせず、
ただ学校帰りの子どもたちが物珍しげに男を取り巻いて
口々に話しかけたり、犬を撫でたり、
その時ばかりはにぎやかだったのですが、
やがて潮が引くように子どもたちもいなくなり、
夕闇が迫ってきました。

停車場が近いというのに、夜になると人通りはごくまばらになり、
雪は勢いを増して降ってきましたが、
男はずっとそこに立ち続けていました。
酔っ払いが通りかかって、物乞いと間違えたのか、
小銭を放っていきました。

男が帰り支度を始めたときです。
ひとりの少女が近づいてきました。
この寒空に外套も着ないで、古びた木綿の服と、古びた頭巾と、古びた肩掛け。
裸足にすり減ったサンダルを履いています。

「あの、あなたは幸せを売っているのですか」
少女はおずおずと男に声をかけました。
「そうですよ」

「幸せは、さぞかし高いんでしょうね」
「値段は決まっていないんです。不思議でしょう」

少女は男を見上げ、しばらくためらっていましたが、
腕にかけていた籠の中から10クローネを差し出しました。
(それだけあれば、黒パンと塩ニシンが買えるというのに)

男は硬貨を受け取り、トランクを開けて小さな包みを少女に渡しました。

「では、ごきげんよう。お幸せに」

男の後ろ姿が見えなくなってから、少女は包みをほどいてみました。
中に入っていたのは、マッチ箱くらいのオルゴールでした。
おそるおそる蓋を開きます。
と、聞き覚えのある音楽が流れ出しました。

自分がまだ幼かった頃、ふるさとの家の、緑にかこまれた庭で、
祖母がよく歌ってくれた「恋する乙女とツグミ」の歌 ―――

少女はうっとりと眼を閉じました。

次の日、人びとが朝日の中で見たのは、
幸せそうな微笑を浮かべながら、雪の中に横たわっている少女でした。


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2013年09月15日

小松洋支 2013年9月15日放送

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空箱

        小松洋支

パン屋とクリーニング屋に挟まれた店は、
シャッターが閉じられていた。
いつもそこを通っているのに、何の店だったかもう思い出せない。
シャッターの前にはいろいろな大きさの箱が積まれていて、
「空箱(からばこ)、自由にお持ちください」
という貼紙がしてある。

本を実家に送り返そうと思っていたところだったので、
手頃なのをひとつ、もらって帰った。

本棚の前で箱を開けてみると、
中にはよく晴れた青い空が広がっていた。
空箱(からばこ)ではなく、
空箱(そらばこ)だったのだ。

どこからか雲が流れてくる。
薄い、ふわっとした、白いスカーフ状のものが、
くるくると丸まったり、端っこが伸びたりして、
いつのまにか翼をひろげた大きな鳥になっている。
気がつくと、時間がたつのを忘れて箱をのぞきこんでいた。

それからというもの、
朝起きるとすぐに空箱(そらばこ)を開けるのが日課になった。

箱の中の空は、おおむね晴れていた。
おなじ晴れた空でも、光の加減や雲の様子が違っていたし、
空の青が、群青にちかい日や、
すみれ色に見える日など微妙な違いがあって
毎日眺めていても飽きることはなかった。

まれに薄曇りの日もあったが、
そんなときもしばらく眺めていると、ゆっくりと陽がさしはじめ
やわらかい光がだんだんひろがっていって、
まるで空全体がオパールになったように思えるのだった。

ある日、空箱(そらばこ)を開けると、なにかが激しく顔を打った。
雨粒だった。
真っ暗な空から大きな雨粒が、
いくつもいくつもこちら目がけて飛んでくる。
と、いうことは。
それまで考えもしなかったが、箱の中の空は自分の下ではなく、
上にあるのだ。

そう思ったとたん、体が天井へと落下した。
豪雨でずぶ濡れになりながら、
床に置いてある空箱(そらばこ)を見上げると、
どす黒い雲を縫うように、閃光が走った。

次の瞬間、
ガリガリガリッ。 ドーーーン。
轟音が響きわたって空箱(そらばこ)から天井に落雷し、
蛍光灯が砕け散った。
空箱(そらばこ)は自分の雨で段ボールがぐにゃぐにゃになり、
放電の勢いで吹き飛んだ。

翌日、空箱(そらばこ)が積んであった所に行ってみた。
閉店したのが何の店だったのか、知りたかった。
だが、パン屋とクリーニング屋は隣り合っていて、
その間には、何もなかった。


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2013年08月04日

小松洋支 2013年8月11日放送

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          小松洋支

風呂からあがって浴衣に着替え、
ひんやりした旅館の廊下を歩いて行くと、
暗い蛍光灯の下にちいさな売店があり、和菓子を売っていた。

大福か饅頭のたぐいだろうか。
少しずつ色の違う和菓子の包みには
「桜」、「牡丹」、「藤」、「菊」という名前が書かれている。

手近にあった「藤」をひとつ買って、
食べてみようと包みのセロファンをはがす。
と、突然、中から大きな猫が急速に膨張しながら飛び出してきた。
和菓子に見えていたのは、小さく小さく丸められた猫だったのだ。

紫のようにも見える薄いグレーの猫は、掌からひらりと飛び降り、
廊下の角を曲がって、走り去っていった。

茫然とそこに立っているわたしの耳に、すすりあげる声が聞こえてくる。
売店の売り子の少女が、泣いているのだ。

なぜ泣いている?
猫が逃げたからか?

わたしはうろたえ、すぐに猫のあとを追うことにする。
角を曲がってみると、廊下は予想外に長く、
遥か先まで続いていて、猫の姿はどこにも見えない。

「ふじー、ふじー」
大声で呼ぶと、近くで猫の鳴き声がした。
左手の座敷からだ。

駆け寄って襖を引き開ける。
いちめんのぬかるみが、わたしの前にひろがっていた。
ついさっきまで雨が降っていたらしく、
あたりには水の匂い、土の匂い、湿った植物の匂いがたちこめ、
遠くの方に低い丘と町の輪郭が、薄墨色に煙っている。

目の前に、真っ白なスーツを着た男と、
真っ白なウエディングドレスを着た女が、
こちらに背を向けていた。
服に泥がはねないように細心の注意を払いながら、
地平線の方に向かって
ごくゆっくり、一歩ずつ、スローモーションで、遠ざかっていく。

「ふじー、ふじー」
もう一度、大声で叫ぶ。
どこかで、かすかに、猫の声がしたような気がするばかりだ。

ああ、こうなっては、もうあの猫を捕まえることはできないな。

諦めておそるおそる売店の方に戻ってみると、
少女はさきほどと同じ格子縞の着物を着て、
さきほどと同じようにわずかに背をかがめて立ったまま、
すでにからからに干からびた
即身仏になっているのだった。


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2013年07月14日

小松洋支 2013年7月14日放送

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しゃぼん玉

            小松洋支

しゃぼん玉って、いまは買うものなんだね。
ぼくが子どもの頃は、つくるものだった。
洗面所にある石鹸と水道の水でね。

お母さんに使わないコップをもらって、
ちょろちょろ水を出した蛇口の下で、石鹸を揉むようにして
コップに石鹸液をためるんだ。
薄すぎるとしゃぼん玉ができないけど、
濃ければいい、というものでもない。
それに、どんな石鹸かによって、しゃぼん玉の出来が違う。
坂本くんがつくるしゃぼん玉は、
ぼくのより虹色が濃いような気がして、
石鹸を見せてもらいに、
坂本くん家まで行ったこともあったっけ。

台所の食器用洗剤をうすめて吹くと、
小さなしゃぼん玉がいくつもいくつも飛び出してくる。
しゃぼん玉どうしがくっついて、
くるくる回ったりするのが好きだった。
洗濯機の脇においてある「ザブ」の粉を水に溶かして吹くと、
びっくりするくらい大きなしゃぼん玉ができて、
でも、すぐに丸い輪郭がおぼろに霞んで、
ふーーっと消えてしまうんだ。
「はかない」という言葉を聞くたびに、
ぼくはあの「ザブ」のしゃぼん玉を思い出す。

あれは、夏休みが始まろうとしていた頃だったな。
もうニイニイゼミが鳴いてたから。
ぼくは坂本くんと池浦くんと3人で、
踏切のそばの石垣に座って、しゃぼん玉遊びをしてたんだ。
と、ぼくらの前のアスファルトの道を
同じクラスの女の子が何人か通りかかった。

彼女たちもすぐぼくらに気づいて、
しゃぼん玉を追っかけたり、手のひらでパチンと割ったり、
みんなキャーキャー笑って、お互いにふざけあった。
でも、ひとりだけ黙ったまま立ってる子がいた。

高梨道子という名前の、色の白い小柄な子だった。

ぼくは石垣から飛び降りて、女の子たちのまわりを歩きながら、
わざと顔めがけてしゃぼん玉を吹いたりした。
でもその子は、どこか遠くに目をやっていて、
はしゃいでいるぼくたちの方を、一度も振り返ろうとしなかった。

2学期が始まった日、先生はその子が尾道というところへ
転校していったと教えてくれた。
「えーーー」とぼくは声に出して言った。
それから取りつくろうように「おのみちって、どこ?」と叫んだ。

帰り道、石を蹴りながら踏切の前まで来たとき、
ぼくは思わず立ちどまった。
目の前に線路があった。
この線路は尾道に続いてるんだろうか。
貯金箱の中のお金で尾道までの切符は買えるんだろうか。
そんなことを考えてたんだよ、真剣に。
空にはもうアキアカネが飛んでたな


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